2015/07/29

蜂を見て   転生やアセンションの事などをふと。

 

 
 
蜜を採取する蜂

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小型の蜂が熱心に花の密を採取していました。
人影やカメラのシャッター音など全く気にならない様子。
 食事に忙しいのだ!?




カメラで追いながら、蜂さんのそんな様子を見ていたところ、ふと、

蜂はなぜ蜂になったのだろう?
などと、思いまして・・・・・。



きっと、この子も、どこからか転生してきたのでしょう、
何かしらの意図を持ち・・・・・・・・。



この子は、蜂になる前のいわゆる前世は何だったのかしら?
宇宙人だったかも。(←飛躍しすぎ?)

あるいはどこかの国の王様だったかも。

王様が虫に生まれ変ることなど有り得ない?

いえいえ、
一つの生の中で出来なかったことへのあこがれや、失敗へのやり直しなど、様々な理由で、
次なるステージへの冒険やチャレンジは、したくなったり・・・・・・・・・、するようですよ。
もし、チャンスがあるならば。

なので、しごく単純な比喩で、例えば長寿でお城の中で大事にされた王様だった場合、
短命だけれど美しく良い香りを放つお花の間を自由に飛び周れる蜂になって、
さあ元気に飛ぼうと意図して生まれてくる可能性だって、有り得るのです。
もし、この王さまが花をこよなく愛していたならば。



花と蜂は互いになくてはならない関係ですね。
蜂は花の花粉を、自由に飛び回れない花に代って遠くに運び、
花は蜂に蜜を与え身体を支えます。
見事な共存です。





と、余談はさておき、


転生のプロセスには
どのようなパターンにしても、それぞれすべてに尊い意味があります。

何の意味も意図も目的も無く、
漠然と、今この世というところに生れて来ている訳ではないのです。


蜂や蝉や蜻蛉やでんでん虫といった・・・・・・小さな昆虫達も、
あるいはもっと小さく歓迎もされないダニやノミやシラミと言った類の虫たちも、

その短い一生を、転生の一サイクルの中で生き、
転生を繰り返す場合も繰り返さない場合も、
光(ワンネス=すべてはひとつ)への道を、
言い方を変えると、アセンションのプロセスを、着実に歩んでいることでしょう。



転生のプロセスの中での、
その一瞬の形ある現れとして、
小さな虫という生命体となって、
この地球界の”今”に、今は出現しています。

そして、与えられている命の領分を、懸命に生きています。
たぶん、人間よりずっと純心無心かつ一生懸命に。




彼らがそうしたスピリチュアルな仕組みを知っているかどうかは判りませんが、
形が違うだけの同じスピリッツ仲間として観るなら、
知っているのかもしれません。
もしかしたら、人間よりずっと高い意識レベルで、エーテルの世界もこちらの世界も知り尽くした上で、
何らかの意図で、昆虫という一生を選びチャレンジしているのかも・・・・・・・・・・・・・・・・。



知らぬは人間ばかり・・・・・・・・・・・・かも。





と、そんな風に思うと、
あまり歓迎されない虫、たとえばダニやシラミやetc・・・・・・・・などへも、
違った見方や反応の仕方が出来るのやもしれません。


とはいえ、
共存は何かと難しいのが、現実ではありますが・・・・・・・・・・・・・・・・。






今、地球界は、自然界も人も動物もまるごとアセンションしつつあると言われています。
(※ アセンションとは、意識の底上げであって、到達点ということではありません。)

一説では数百年かけて、また一説では2、3千年かけて、
いわゆる弥栄の時代(愛と調和に満ちた黄金時代)を、迎えるとされています。


数百年や、2,3千年かけて・・・・・?
そんなに待てない?
そうね、でも
直線状に考えられていた”時”の概念も変わる、または無くなるという説もあるので、
意外とそうでも無いのやも・・・・・・・・・・・。




そしてアセンションした遠いか近いかの未来を想定したとして、

調和に満ちた平和な地球・・・・・・・・・・・・・、実際そうなるかどうかは不明としても、
何にしろ、アセンションした未来の地球に、
愛らしい昆虫や、
今の世では共存しにくいダニやシラミ、大スズメバチや毒蜘蛛や
細菌やウイルスも居るのかしら?


居ても
互いに影響されず、平和に共存できるようになっているのかしら?



想像はしにくいですが、
私たち人間の現時点の視野では想像が及ばない世界あるいは状況が展開してゆく・・・・・・・・・・・
可能性だけは、
否定できませんね。




そうそう蜂と言えば、
ミツバチが大量に消えてしまったということが、世界では何件か報告されているようですね。
それについても、蜂たちが先にアセンションして別次元に移行したという説もあります。
真偽は謎ですが、もしそうだとするなら、
未来地球への先行でしょうか?






ところで、、
食事に忙しそうなそこの蜂さん、ホイホイ、君、君
この地球での今、一緒に居てくれてありがとう。

そうして未来地球では、また会えますか?

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つぶやき
2015/07/27

熱中症対策をお忘れなく。

 
 
  
 
猛烈な暑さ。
体温を上回る37℃や38℃などニュースで報道されていますが、
日差しの直下ではそれ以上かも。
湿度もあるので、
皆さま、私もですが、本気で熱中症にはご用心しましょうね。


このところは連日のように、熱中症注意予報が出されているというのに、

私、本日午後1時半過ぎ(一番の暑さの最中?)
30分程度歩いて、途中、気を失いそうになりました。

心臓もばくばくとなり、
卒倒ってこんな感じかな?と頭によぎりましたが、
どうやら家に無事に帰りついて、冷房でがんがん冷やしながら、
汗びしょの着ていたものを全部脱ぎ、
乾いたルームウエアだけを羽織り、
横になっていたところ、
午後4時現在、回復してきました。



ふいに、眩暈より早く、気が遠くなるのですね。


直前は冷房の利き過ぎの場所に3時間程度居たせいで、体が冷えていましたから、
急激な温度変化について行けなかったのかも、ですね。



いつも歩く道、慣れた道、いつもは大丈夫、こうした場所、状況での油断は禁物ですね。



熱中症予行演習かな?
気を付けなさいということですね。はい。




皆さまも、連日の猛暑ですから、
自分は大丈夫と思わず、お気をつけくださいね。







 








暮らしの中で ~あれこれ~
2015/07/19

久々に「ギリシャ悲劇全集」を開いて②   「王女メディア」を振り返る。

 
 

 
台風は去り、
空に明るさが戻ってきました。

一部では梅雨明けとなったそうで、
いよいよ入道殿が真夏の空にお出ましですね。



写真はこの台風接近前の夕空

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~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~



この記事は前記事からの続きになります。


どうやら私は
人文書院「ギリシャ悲劇全集」という古い本をとおして、、
すっかり紀元前のギリシャ劇場に(心が)飛び、入り込んで行ったようです。




全集は
一巻目が
アイスキュロス作篇で
「ペルシャの人々」他 計7篇

2巻目は
ソポクレス作篇で
「オイディプス王」他 計7篇

3、4巻がエウリピデス作篇で
3巻が無く、4巻目では
「ヘレナ」他 計9篇となっています。


訳は呉茂一氏他複数人の方ですが、どの方の文章も格調高く、
どちらかというと古き良き時代を思わせる日本語で、
そしてまた、
全編の特徴でもあるコロス(合唱隊)の歌(合唱のための詩)の韻律も胸に響きます。



本には古代ギリシャ彫刻やレリーフなどの写真も、
適所に挿入されていることで一層、古代劇場の舞台へと読者を誘ってくれます。

なかなか充実した創りの本ではないかと・・・・・・・・・。





この全集の中で、私が特に好きだったのは
ソポクレス篇で、
この巻をどれだけ読み返したか・・・・・・・・・・、本に残された繰り手垢が
頁を繰った日々そして当時の心の歩みを物語ってくれているように思えます。

開くのが何十年ぶりとなる今見れば
残された汚れすらが、懐かしく感じられます。



本とはこういうものでしょうか。
本そのものが、まるで心のアルバムのようです。


本はやはり本で読みたいなと思います。
デジタルではなく・・・・・・・・・・・・・。
もちろんデジタルも活用している私ですので、デジタルを否定するものではありませんが、
本は本で、単に情報とはなり得ない別の素晴らしい良さが有るかと。


紙による本の文化は、場所を取る重いということなど有りますが、
やっぱり無くなって欲しくないなと私的には思います。





で、全集ですが、
文字は小さく、
分量は多く、
この本の全部を再読するには
かなりの気合い、スタミナと時間、そして目力も要りそうです。

スタミナのある若い内にこそ、
こうした若干こ難しさのある本とは読んでおくものかもしれませんね。

吸収力旺盛な青い心、そして身体は若さ真っ盛りのころ、
相当な本の虫でいわゆる読書家であったことは
目力もスタミナも衰えつつある今振り返れば、幸いだったのかな・・・・・・・・・と思えます。

膨大な読書で得た心の財は確かに身の内に・・・・・・・・・・・・・・・。 ←たぶん(笑) (^_-)-☆




と、全集本の解説はこの辺にして、


「王女メディア」
あらすじはウイキペディアの頁でどうぞ。
  (↑文字をクリックで移動します。)


エウリピデス原作「メディア」は
オペラや演劇でも度々上演されていて、
大まかな筋は原作のとおりであっても、途中の筋や最後の場面は
監督や演出によって幾分違うようです。


1969年にパゾリーニ監督により映像化された
映画「王女メディア」では、
メディア役のマリア・カラスさんの存在感が大きく、
劇中のイアソンが平凡に見えるほどでした。


後年、亡くなったマリア・カラスさんの晩年の様子は
この時演じた王女メディアの悲しみと、
どことなくリンクするように思えるのは、気のせいかしら?


映画DVD↓






下は
ドラクロワ作 『怒れるメディア』
リール市立美術館蔵(1836-38年)

1507dorakurowamedhia1.jpg

自分を裏切った夫イアソンの子を
怒りと嫉妬で今まさに手にかけようとしているメディアと
母の刃から逃れようのない子供たちの涙。
緊迫した情景がドラクロワらしい劇的な動きで描かれています。




~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~





古代ギリシャの文学は
そこに登場する神々とは何か?や、
神々と人間の関係など、何かと考察したくなる要素があります。

そうして突き詰めていったとして、
多分、昔の自分と今の自分では少し違う答えが導き出されることでしょう。


それについてはまたどこかで、気がむいたらの範囲で、書かせていただくことにしますね。






さて、そろそろ、気持ちを現代に切り替えますね。
古代ギリシャに気持ちを飛ばしている間に
多々用事が、ああ溜まってしまう・・・・・・・・・・・・のだ。(^-^;






 
 




長々お読みくださって有難うございます。

宜しかったら、
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本を通して | Comments(0)
2015/07/17

久々に「ギリシャ悲劇全集」を開いて①  「オイディプス王」と映画「アポロンの地獄」を振り返る。

  
 
 
  
台風の最中にこれを書いています。
風強し・・・・・・・・・・。

皆さまのお住まいの地域は大丈夫ですか?



~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~




今日はギリシャ悲劇に関する古い思い出話しです。

  (↑青文字をクリックでウイクペディア説明頁に移動します。)



書庫が満杯で整理を何度しても、
その都度、これは手放せないよという部類に入り、長年保管され続けてきた
古い古い愛蔵書の中に、
昭和46年重版と巻末に記された
人文書院発行の「ギリシャ悲劇全集」というのがあります。



これは当時かなり真剣に読み込んだ愛読書でした。
本は全4巻ですが、手持ちは3巻です。
欠けている1巻について、
思いがけない勘違いをしていることを、このほど気付くこととなり、
記憶のすり替えとも言える勘違いに我ながら驚く・・・・・・・・・・・・・・。



そのことに気付いたのはふとした心の動き、
ふと思い出したのですね、
ソポクレス作「オイディプス王」。

で、何となく読みたくなった訳です・・・・・・・・・・・・が、記憶では、
オイディプス王の物語の入った巻は無いはずだったのです。
が、有~ったのでした。
無いのは、「王女メディア」が入った巻だった・・・・・・・・・・・。

↑ この勘違いがいつから起きたのかは不明ですが、
ま、それは良いとして・・・・・・・・・・・・・・。





箱入りの本を箱から出すのが
そもそも何十年ぶりだろうか?と思うほど久々で、
背表紙が日焼けで茶色に変色した箱の中の本を取り出し、

本には、(3巻とも)
読み込んだ痕跡らしい擦れ跡や
折れ線や手垢も、それなりに付いている・・・・・・・・

しかも開いただけで、今にもバラケそうな風化具合で、
頁を開くにも慎重さが必要な状態。
(保存状態はお世辞にも良好とは言えない模様、どうやら湿度ですな、風化が進んだのは・・・。)


で、ばらけないように(笑)、
慎重に頁を繰り、読むとはなしに目をやると、
走馬灯が回る様に
当時の心の記憶が蘇ってきます。懐かしい・・・・・・・・・・・・・・・。

それはあたかも本に閉じ込められた当時の今が、
頁の中から、40年以上後の今に出現してきたかのような。





思い出します。

この本を購入したのは

パゾリーニ監督の映画、
「アポロンの地獄」を観て、それが衝撃的なインパクトとなったことがきっかけで、

※ アポロンの地獄、(1967年イタリア) :
ギリシャ悲劇の「オイディプス王」を題材にして、
パゾリーニ監督の視点で映画化されたもので、
「オイディプス王」がそもそもギリシャ悲劇の中でも傑作とされ、
「アポロンの地獄」は、それを題材にしつつ、パゾリーニ監督の斬新な手法とが相まって、
当時、芸術的傑作と評され話題となった映画です。


その後、同監督による
「王女メデイア」(1969年イタリア)マリア・カラス主演が
日本でも封切りされ、
これも観ましたが、
運命に翻弄されるオイディプス王の物語に対し
激しい愛憎を描いた王女メディアの物語は、(映像内に生きた人間の生贄など血なまぐさい場面も有り、)
感覚的には、ウグッと引くものがあり、今一受け入れがたく、

本の購入の際には、この王女メディアを、本でもまた読みたいとは思わず、
この物語の入った巻(第Ⅲ巻)だけ購入を避けたことが、
今回思い出し、いつの間にか生じていた、記憶のすり替え勘違いが判明したのでした。





ということで、
オイディプス王の章を読み返してみる・・・・・・・・・・・。
息詰まる展開の劇(戯曲)です。
紀元前のお話しでありながら、現代社会にも通じるものがあり、考えさせられもする内容です。

そしてまた、言葉を失う何とも言いがたい読後感でもあります。
この劇を実際の実演で劇場で観た古代ギリシャ人も
同じような思いで家路についたのではなかろうか?


父を殺し、母と通じる・・・・こうしたテーマが古代ギリシャの時代からすでに民衆の心の興味にあったことになりますでしょうか。
(あるいは人間って、紀元前からあんまり変わっていないのかも・・・・・・・・・・。)



訳者解説を一部ご紹介 (物語の核を見事に言い得ているかと。)

・・・・・人間のあらゆる善意の行為のむなしさ、
いや人間の全存在の無常を恐ろしい緊迫した空気の裡(うち)に描き出した。
この劇には悪人は一人もいない。
次々に行なわれる善意の行為の偶然が
王を破滅へと追いやる。
それだけに彼の悲劇には救いがない。
それだけに恐ろしい。
見物は自分の足下に口を開いているかもしれぬ深遠に思わずぞっと身慄い(みぶるい)するのである。

 ~ 訳 高津春繁 ~





映画はDVDもあります。

アポロンの地獄
 DVD



表紙の写真を見ると
ずいぶん前(40云年前)とは言え、映画館で観たときの衝撃的インパクトが蘇ります。
インパクトの内には、日本の風土とは全く違う、大地の不毛、絶望的乾燥感も含まれます。
この乾燥感の描写も、パゾリーニ監督の手法の内だったようですね。
詳しくは覚えていませんが、
日本の古楽器も効果音で使われていたようです。


アポロンの地獄
 ブルーレイ


この表紙の写真は
父を殺し母と通じるという神託を避けようと、両親の家を出て放浪する青年オイディプスが、
路上で出会った従者を連れた男(実の父親=テーバイ王)を、そうとは知らず、殺してしまう場面だろうか?


オイディプスはこの後(実際にはこの時すでに)、予言通りの運命の歯車の中に、確実に呑み込まれてゆきます。




長くなるので、ここで区切ります。

続く。













本を通して
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