2016/03/17

母へのホ・オポノポノ

 







食事中の蝶

近づいても動きませんでした。



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伊勢神宮 外宮にて









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どれほど、



繰り返しても足りない気がする。





母へのホ・オポノポノ







有難う



ごめんね



愛してる











母は認知症が進み、

もう、私を忘れている。

私を判らない。



夫(故父)のことも、息子(弟)のことも、

ご近所や友人のどなた様のことも、

判らない。



好きで、情熱的に取り組んでいた様々な芸事のすべても、記憶がない。







また・・・・・・・・・・・・ 

(↓どれほど、何度、話を聞いたか知れない。)

戦時中、

まだ少女でありながら 

市民への無差別爆撃で炎の中を逃げまどった壮絶な戦時体験のことや、

最愛の長兄の満州での不幸な死、続いた次兄の死。

戦後、生きてゆくために

焼け野原から深い傷を抱えて再起した日本人の一人としての数々の苦労も・・・・・・・・・・・、



みなみな忘れてしまったようだ。









今ではいつも笑顔で、なぜかニコニコ笑って

楽しいね~と、何もなくとも、実に楽しそう。

天性の明るい天真爛漫さという資質だけが残っている感じだろうか。

(↑ここに、若き頃の父が惚れた訳で。)





幸いなるかな?・・・・・・・・・・・・・・忘却は。















母がしてくれたこと、

苦しい生活の中でもいつでも前向きに頑張ってくれたこと・・・・・・・・・・・・・・、

日常の中での些細なことも含めて、

思い出せば、きりがなく、







一つ一つを感謝の積み木として積み上げたなら、

空に届きそう・・・・・・・・・・・・。











尽きることのない、



母への、ホ・オポノポノ







思い出せば

自然と溢れ出る感謝の気持ち &

愛。







ありがとう







ごめんね







愛してる









愛してる









愛してる









愛してる

















言葉よ届け、母の心に・・・・・・・・・・・。

























母に捧げる
2014/06/02

この世での質量?  &  高村光太郎の詩「母を思う」

 


 
もう6月ですね。
早過ぎるような・・・・・・・・。


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・・・・ 母が離れてゆき、
私の物質的質量が減る ・・・・
という夢を見ました。


母が、こちらの世界から遠ざかりつつあることは確かではあるものの、
それにより私の質量が減るとはどういうことなのか?
考えるということではないけれど、
ふと思いを巡らしました。



もともと人間は、母という女性の胎内から産まれています。
受精により母という女性の胎内細胞に変化が起き、
人型が新たに形作られ始め、
そこにスピリットが宿り、
胎内に居るころからアイデンティティも形成され始め、

月満ち
二つの個体になり、
環境や事情や教育などをとおして
さらにアイデンティティーが形成され、
やがて、まるでもともと一個の人間であったかのように、振る舞うようになる。


一心同体という言葉があるけれど
母子とは、
事情で離れたり、あるいは心に亀裂や摩擦が生じ、
一心同体とは言えない関係になったとしても、

元は一体同体なのだ。
これは凄い事実なのだ。

(最新医療の複雑な話ではなく、ごく普通のパターンの場合です。)




母が、本人の顕在意識上でも母である頃には、感じなかった喪失感が、
今すでに、私の胸の内にそれなりに有ることを認める。
元気なころの写真や動画が無性に見たくなる・・・・・・・・・・・・・。

喪失感とは理由など不要なのだと思う。



母がこの世を離れると、
この世での私の質量が減るというのも、案外わかるような気もする。
理屈ではなく・・・・・・・・・・・・・・・・・。



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下記は、彫刻家であり詩人でもあった高村光太郎の詩です。

光太郎は実直な詩を数多く残しています。
「智恵子抄」は有名ですね。

この詩も知られているかも・・・・・・・・・・・・・。



「母を思う」


夜中に目を覚ましてかじりついた
あのむっとするふところの中のお乳
「お父さんとお母さんとどっちが好き」
夕暮れの背中の上でよくきかれたあの路地口


鑿で怪我をしたおれのうしろから
切り火を打って学校へ出してくれたあの朝


酔いしれて帰ってきたアトリエに
金釘流のあの手紙が待っていた巴里の一夜


立身出世しないおれをいつまでも信じきり
自分の一生の望みも捨てたあの凹んだ眼


やっとおれのうちの上り段をあがり
おれの太い腕に抱かれたがったあの小さなからだ


そうして今 死のうといふ時の
あの思いがけない権威ある変貌


母を思い出すとおれは愚にかえり
人生の底が抜けて
怖いものがなくなる どんな事があろうとも 
みんな
死んだ母が知っているやうな気がする





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中学性の頃、
この詩を読んで、ふいに涙が流れ落ちたのを思い出します。
(中学の頃は何かと両親との縁を考える年頃だったような・・・・・・・・・・・。)



現在、我が母は
おそらく今世最後となるだろう?ラストレッスン中です。
光あれ、安らぎあれ・・・・・・・・・・・・・・・・。
















母に捧げる
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